小泉八雲旧居について
小泉八雲は、1891年6月に妻のセツとともに松江城の濠沿いにある根岸という士族の家に転居しました。町の喧騒から遠い閑静な屋敷からは内堀のむこうに城の天守閣を望むことができ、また家を取り囲む美しい庭は、八雲のお気に入りでした。「日本の庭」(『知られぬ日本の面影』/1894)の中で、この庭のことを詳しく描写しています。130年以上を経た今もなお、八雲が愛した庭は大切に保存・公開されています。
小泉八雲について
「耳なし芳一」や「雪女」などの怪談の著者として知られる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、1890(明治23)年8月に島根県尋常中学校の英語教師として松江に赴任しました。その後、熊本・神戸・東京と移り住み、1904(明治37)年に亡くなるまでの14年間を日本で過ごしました。
文学者としての八雲の功績は広範囲に渡り、翻訳(おもにフランス文学の英訳)、紀行文、随筆、文芸批評、民俗学などの分野で多くの作品を残しています。八雲は、当時の西洋人としては珍しいほど日本に対する偏見がなく、むしろ好意的な目で当時の日本を世界に紹介しました。『知られぬ日本の面影』『心』『東の国から』『怪談』などは代表作で、これらの著作は今でも読み継がれる名作です。
→八雲について、詳しくは小泉八雲記念館のウェブサイトをご覧ください。
小泉八雲と根岸家
小泉八雲は1891(明治24)年6月に、それまで住んでいた宍道湖岸の借家が手狭になったため、妻のセツとともに北堀にある根岸家に転居し、11月までの約5か月間をここで暮らしました。
根岸家は士族で、屋敷は旧松江藩士の武家屋敷です。家主の根岸干夫は維新後、島根各部の郡長を歴任。八雲がいた当時は、簸川郡(現在の出雲市)の郡長をしていたためこの家は空いており、庭のある侍の屋敷に住みたいと希望する八雲に貸すことになりました。
八雲がたいそう気に入った旧居の庭は、根岸干夫の先代、根岸小石の手によって1868(明治元)年に造られたものです。規模は小さいものの、この家の庭は枯山水の観賞式庭園として、高い評価を受けています。
八雲と根岸家のかかわりは、干夫の長男磐井が島根県尋常中学校、熊本第五高等中学校、東京帝国大学で八雲に教わった師弟の関係でした。東京帝国大学卒業後、磐井は日本銀行に勤務していましたが、友人の上田敏、小山内薫、柳田国男らの勧めもあり、八雲が愛した旧居保存のために、1923(大正2)年に松江に帰り、一部改築されていた家を元通りに復元し、記念館設立などにも尽力しました。
磐井の没後、旧居は代々根岸家の手によって八雲が作品に著したままの姿が保存され、1940(昭和15)年に国指定の史跡となりました。2018年に松江市の所有となり根岸家の意思を継いで大切に保存しています。
利用案内
入館料
個人 | 団体割引 | |
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大人 | 310円 | 240円 |
小・中学生 | 150円 | 120円 |
- 団体割引は20名以上
- 障がい者手帳、療育手帳などの所持者及び介護者1名は無料
キャッシュレス決済
開館時間
4月1日~9月30日:8:30-18:30(受付は18:10まで)
10月1日~3月31日:8:30-17:00(受付は16:40まで)
年中無休(館内メンテナンスのため、年6回の休館日をいただきます)
アクセス
- JR松江駅から
- ぐるっと松江レイクラインバス約16分「小泉八雲記念館前」下車
- 松江市営バス約14分「塩見縄手」下車、徒歩5分
- 一畑バス約20分「塩見縄手入口」下車、徒歩1分
- 一畑電車松江しんじ湖温泉駅から
- 徒歩約20分
- 専用駐車場はございませんので、最寄りの駐車場をご利用下さい
小泉八雲『怪談』出版120年記念事業
2024年は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『怪談』出版120年・没後120年です。
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