ミニ展示

西田千太郎:小泉八雲が最も信頼をよせた友

西田千太郎没後120年記念ミニ展示

2017年3月26日(日)―5月31日(水)
2階 ライブラリー

西田千太郎(1862-1897)は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が心から信頼を寄せた友人であり、公私にわたって支えた協力者でした。

松江雑賀町に生まれ、松江中学校(島根県尋常中学校)の教頭を勤めていた西田は、1890年(明治23年)に着任したハーンと親交をむすぶことになります。松江時代の八雲の取材活動・資料収集・研究調査などに関して最上の協力者となり、私生活でも助力しました。二人の親交はハーンが松江を離れたのちも続きました。ハーンは著書『東の国から』を西田に捧げて感謝の意を表しました。自著をはじめとする多くの図書類を西田に贈っています。また125通の西田宛のハーンの手紙が確認され、西田もまた出会いから亡くなるまでの6年半の間、日記にハーンの記事を約160回記載したと言われています。ハーンは西田を評しました。「利口と、親切と、よく事を知る、少しも卑怯者の心ありません、私の悪いこと皆いうてくれます。本当の男の心、お世辞ありません、と可愛らしいのおとこです」「ただあの病気、如何に神様悪いですね――私立腹」(小泉セツ『思い出の記』より)

西田は若くして結核を病み、ハーンの在松中も含め闘病の生涯でした。34歳の短い生涯でしたが、ハーンだけでなく教え子をはじめ松江市民に鮮烈な印象を与えました。教え子が語っています。「先生は我松江市の生める秀才の一人にて、頭脳極めて明晰且記憶力に富み…朋友知人皆これに感化せられ、氏に対し不平不満の言辞を漏せしことも予は未だ嘗て耳にせざりしなり」(和田玉一)、「実に明晰なる頭脳の持ち主であった。…先生の教室には粛然たる気が充ちてゐたことを想見する」(落合貞三郎)。

西田は、松江中学生徒時代から数年の中断期を挟み、死の直前まで克明な日記を書き残しました。これによって松江時代のハーンの詳細な動向が伝えられ、またこの西田の生涯の記録は、明治前期の社会、教育史や地方史文化史を知る貴重な史料でもあります。それは『西田千太郎日記』として刊行されています。

八雲会と小泉八雲記念館では、西田千太郎の没後120年を記念して、西田のハーン宛書簡(レプリカ・小泉八雲記念館蔵)、西田千太郎日記の原本の一部(3冊)を始め、八雲が西田に贈った『知られぬ日本の面影』などハーン自身の著書やその他の書籍(島根県立図書館蔵)を展示し、西田千太郎の生涯と功績の一端を紹介します。


主催:八雲会、小泉八雲記念館
協力:島根県立図書館

西田千太郎(小泉八雲記念館蔵)

西田千太郎日記(島根県立図書館蔵)